オーダーメード治療を目指す神戸三宮の菊地眼科です

コラム集  三た論法 2011.10

臨床系の雑誌を見ていたら、京都大学の中山先生という方が「三た論法」というものについて書いておられました。 そこには雨乞いの話が載っていてこの論法で行くとすべての雨乞いは有効だというのです。 この近代科学全盛の時代に何をとぼけたことをとお思いでしょうが、どうも笑ってばかりはいられないようです。

その種明かしは、どんな雨乞いでも雨が降るまでずっと祈っていれば雨が絶対降らないところはない(あったとすればそんなところに人は住んでいない) のでそのうち必ず雨が降るというものです。つまり雨が降るまでひたすら祈り続けていると「雨乞いで雨を降らせることが出来た」ので、雨乞いは有効だという論法です。 何年も祈り続けてやっとちょっと降ったからってそれで「効果あり」といわれても、そんなむちゃくちゃな話はないとお思いでしょうが、 これが「祈った→降った→(だから)効いた」のそれぞれの語尾をとって「三た論法」と呼ばれているのだそうです。

笑えないといったのは医療の分野でも「薬を飲んだ、病気が治った、だからその薬は良く効く」という論法が以前には結構まかり通っていたからです。 薬をサプリメントに置き換えると、テレビや雑誌の広告で同じような宣伝文句を今でも毎日のように見ています。 では、本当に薬やサプリメントは効いているのでしょうか?

関節痛、頭痛、めまいなど良くなったり悪くなったりを繰り返すようなものの場合、薬やサプリメントのおかげで良くなったのでしょうか? それとも自然に治ってしまったのでしょうか?

風邪を引いたときはただ安静にしていれば薬を飲まなくてもたいていは回復します。そんな病気でも薬を飲んだから(早く)治ったのでしょうか? 同じ人、同じ条件で比較できないので正直どっちだかわかりません。ただ、本当は効かない薬でも多くの人が使えばたまたま効いたように見えるケースも出てきます。 これだけを取り出して「この薬は良く効く」といえるのでしょうか?あるいは、「薬を飲んだが、良くならない」ということは「薬が効かない」と同じ意味なのでしょうか? ひょっとしたら「飲まないともっともっと悪くなっていたけれど、薬のおかげで何とか現状維持が出来ている」とは考えられないのでしょうか?

このような疑問に答えようとして行われるのが臨床試験、とくにランダム化比較試験です。これは治療(投薬)を受けるグループと受けないグループを無作為に振り分けてその後の経過を観察し、治療(投薬)が本当に何もしないより有効かどうかを見極めてゆく試験です。 もちろん参加するかどうかは事前に医師から説明があるので自分で決めることが出来ますし、参加していただいた患者さんには不利益にならないように、十分に配慮されています。この何年にもわたる試験の結果、治療(投薬)が有効であると判断されたらこれはとても高いレベルで有効性を信じることが出来ます。 これに基づいた治療をEBM(evidence based medicine)と言います。最近ではEBMを用いて「三た論法」に陥らないように努めています。